2003年1月−2月




2月12日:青空文庫

 
の中にはいろいろと便利なものがあるもので、この青空文庫もその一つだ。

青空文庫 Aozora Bunko

このサイトは著作権の切れた作家の小説を、小編・中篇あたりを中心に多数収録しており、無料でダウンロードすることができる。運営資金を幾つかの団体から受け取っているのみで、あとはボランティアの活動のようだ。まったくありがたいことです。
 じつはブックマークに登録しておいてからしばらくのあいだ放置していたのだけど、改めてみてみると面白そうな作品がたくさんあるではないですか。参考までに今回ダウンロードしたのを挙げておこう。

 ウイリアム・ブレイク『天国と地獄の結婚』、『無垢と経験のうた』
 海野十三『透明猫』、『特許多腕人間』
 宮武外骨『一円本の流行の害毒と其の裏面談』
 南方熊楠『十二支考 虎』、『十二支考 兎』
 太宰治『創世記』『トカトントン』
 宮沢賢治『さるのこしかけ』
 寺田寅彦『科学について』
 岡本かの子『母子叙情』

 など。なかなか品揃え良いと思いません?なかでもオイシイのは宮武外骨『一円本』だ。外骨センセイについては赤瀬川源平の『外骨というひとがいた!』でかなり楽しませてもらったのだが、まさか実物を読むことができるとは思わなんだ。ふつう手に入らないんじゃないかな。底本も1929年発行になってるし。それにしても表紙からして外骨節炸裂で笑わせてくれる。

著作界の売名家、奇人変人中のニセ悪人
雑学大博士 
外骨先生著 近来にない簡潔犀利の力作

『一円本流行の害毒と
その裏面談』


熱烈の筆 痛快の論 辛辣と皮肉 好虐と善罵
拍案拍掌 愉絶壮絶 溜飲の薬にもなる

                    (一冊定価金タッタ十銭)

 たまに小洒落た雑貨屋なんかで外骨センセイの絵柄を用いたポストカードを見かけたりする。意外と流行っているのかもしれない。
 ブレイク、岡本、熊楠もタダで手に入れられて良かった。買うほど興味があるわけではないし、でもちょっとかじってみたいし、ってときにこのサイトは便利ですねえ。他には西田幾多郎『善の研究』なんてのもあったな。僕にはパソコンのディスプレイで西田読もうって人の心が理解できないです。想像するだけで目が疲れちまったですよ。太宰治『トカトントン』は新宮一成かだれだったかがすこし分析していて印象に残っていたので拾ってみた。さてどうでしょう。
 青空文庫に収録されている作品はtext、html、ebkの三種類の形式で用意されている。一番読みやすいのは多分最後のebkファイル形式で、これはエクスパンドブックなるソフトをダウンロードせねば見ることができぬ。ダウンロードは
こちらから。このソフトで文書を読み込むと縦表示にしてくれて、しかもそれぞれ表紙がなかなか凝っている。最初一画面に表示される文字数が少ないと思ったが、これくらいの方が読みやすいのだ。よかったら使ってみたまい。

 ところで今の季節、魚が安くて旨い!鮭もヤバイくらい脂が乗っておる。これを塩辛く焼き上げて白米をかっ込む。うほほほほ。これぞ日本人の喜び也。皮と身の間の脂肪の旨いこと旨いこと。

 


2月9日:普通に日記、メイプルソープ展など

 んというかこのところそもそもの目的であるレビューサイトという役割というか課題というかそのようなものを投げ出しておりますが。まあ良いではありませんか。だいたい俺っちは昔っから国語が大の苦手だったんだ。それがこんなサイトを作っただけでも良しとしてくれないだろうか。

えと、今日は兵庫県立美術館に講演会を聞きに行ってまいりました。講演会そのものは、大学で聞ける美術史の授業をいささかゴージャスにした感じでなかなか面白かったです。自分の大学に日本有数の美術史家がいるにもかかわらず美術史に暗いとらぬたぬきは、いまさらながらドラクロワ、コンスタブル、そしてウィリアム・ブレイクの諸作品に結構感動したりしましたとさ。なかでもドラクロワ!生憎ただ今開催中の『英国ロマン主義絵画展』にはやって来ていない(来ていたらもっと話題になっている)のですがその濃厚な筆致に我知らず感嘆の息を洩らしましたとさ。

 その後三宮にて軽く買い物をば。今日一番の収穫は『ACTUS STYLE BOOK vol.7』にて候。いい加減聖書を手元に置いておきたいと思って本屋に出かけたのだけども思ったより種類が多くて途方にくれ、諦めて帰ろうと思ったその道すがら、珍しく建築雑誌のコーナーでこの雑誌を手に取り、値段を見て安かった(\450!)ので買ってしまった。それにしても建築雑誌のコーナーって面白いのが多いですねえ。一番こころ惹かれたのは『狭小住宅』という雑誌。文字通り如何にして狭い土地に一軒家を建てるのか、そこにデザイナーたちの腕が試される。みんな良く色々思いつくなあ。それらの雑誌を見ていて気付いたのだけど、意外と神戸はヘンな建物が多い。単に取材した地域に偶然含まれていただけなのかもしれないけど、下手したら東京に次いでヘンテコだぞ。僕の目は未だ閉じたままなのかもしれない。考えてみりゃ安藤忠雄の出身地だしな。

 まあいいか、『ACTUS STYLE BOOK vol.7』がなぜ欲しくなったかというと、冒頭数ページの写真がかなり気に入ったからだ。誰がとったのかわからんがコイツなかなかやりおる。カメラが欲しくなってしまったではないか。分けても冒頭一ページ目。ちくしょう、こんな一見変哲もない風景をどうしてこんな魅力的な構図で撮れるんだろう。いいなあ。おれもこんな写真撮りたいよ。うっめえなあコイツ。桜、小川、富士山、題材は凡庸なのに作品は見事。うーん。 この本ACTUSとかいう会社の広告まじりなんで値段は上に述べたように相当安い。カタログを買わされたと思うと高いが、ちょっとした写真集を買ったと思えばぜんぜん。収められている家具や建築物も魅力的なものが多く、当分のあいだ枕もとの友になりそうだ。ごろりごろり。

 さて家に帰ろうと思ったら。どこぞで人身事故があったとかで足止めを食らう。それでサンマルクカフェにて時間つぶし。近所のモスにも出没していた電波氏に再び遭遇する。相もかわらず新聞に向かって何事か説教しておられましたが、さすがに若者たちの発する空気に押されたのか項垂れて店を出て行ってしまいました。
 小一時間つぶしてJRに乗って帰宅する。ホームの上では皆平然としているが。我々の乗る列車はいずれ死体の上を通るのであるぞ。地べたに座る貴女、柱にもたれかかる貴方!我々の全員が、ある一人の不幸な肉体が己の実存のすべてを投げ出した轍の上を蹂躙するのだ!肉は裂かれ骨は砕かれはらわたは砕ける。活動している間一つの明確な有機体を形成していたその肉体、我々はそれとすれ違ったことのあるかもしれないその肉体、これらをことごとく醜く破壊しながら鋼鉄の鈍重な箱車は悲鳴をあげて制動したであろう。その同じ時刻を、我々はいかにも平穏にやりすごしたのだ。これはいかなることだ。いかなることだ。すんまへん酔っ払いです。

 ええとそれから、先日ロバート・メイプルソープを観てきましたぞ。良かった!デパートで催される展覧会とは思えないくらいどっぷり浸らせてもらいました。ごく雑感を述べるとすると。前期の作品は正直に言うと僕にはしんどかった。なんというか性的な力が強すぎて画面から弾かれるような思いだった。中期、リサ・ライオンという類稀なるモデルを得ての作品、たしかにこれらは充実しており、メイプルソープの作品群のなかでも中核を占めるものであろうが、それらはあまりにも完結しておりいずれにせよ息苦しい感が抜けなかった。リサ・ライオンは確かに素晴らしい肉体の持ち主ではある。筋肉を誇示するリサ・ライオン。大地に屹立するリサ・ライオン。しかしながらこれらの像は女性をベースにしながらもいずれも両性具有的であり、その限りでは完結しすぎているように思われた。ところがっ。後期のメイプルソープはそのような次元を越えていく。もはや写真は肉体の誇示や性の誇示によって我々を弾き返すというよりはむしろ、我々をその肉体が指し示し志向する暗がりへと我々をいざなう。そのなんという静けさ。ユリをはじめとする静物写真にしても、前期にあった華やかさよりもそれらが沈黙する様を中心的に捉えている。

 いずれにせよ、この写真展はかなりお得だ。内容が濃すぎて午前中にもかかわらずくたびれてしまったくらいだ。もしも近日中大阪に行くことがあるならば心斎橋にまでぜひとも足を伸ばしていただきたい。近所にアメ村もあるし。あっ、そういやアメ村にはじめて行ってきました。なんつうか緊張しました。わしは服屋さんに入るのにもの凄い気を使うのです。いまにも店員さんに「お客さん、ちょっぴり場違いですよ」なんて言われるんじゃないかとビクビクしてしまいます。服屋に行く前に服屋にいける格好を準備しろ、みたいな。わし半年ちかく髪の毛伸ばしっぱなしだし服装は地味だし、こりゃあきまへん。店は神戸に比べて男物の服屋さんが多く、またそれぞれ品揃えが良かったと思います。みっちり計画を立てて予算を確保して再度挑みたい感じですね。つうか神戸は男物少なすぎだし色彩悪すぎ。なんなんだよ、ユニクロブームって。あれはなあ、「若い女性向け商品&他多数」なんであって、ユニクロを着てりゃ安全圏なんて思ってる輩がおるなら速攻撃ち落すぞ。なんちて。ではおやすみ。明日改稿されていても苦情を言わぬようよろしく。


2月5日:一冊と一冊と二曲と一本、他

 んだりなどしたもの。

 ・しりあがり寿『箱舟』
 ・フロイト『自我論集』ちくま学術文庫(読みかけ)
 ・ベートーヴェン『交響曲第三番、英雄』フルトヴェングラー指揮
 ・スーパー・ギター・トリオ『ライブインサンフランシスコ』
 ・チャン・イーモウ監督『初恋のきた道』

しりあがり寿『箱舟』太田出版
 しりあがり寿のマンガは所有したいと思うほど好きではないんだけど、立ち読みなどで結構読んでいたりする。『真夜中のヤジさんキタさん』を友人に知らされて読んでみて、その現実と虚構の境界のあいまいな世界に圧倒された。ムッチャクチャなエネルギーで生と死の巨大なドラマを描ききったしりあがりという漫画家に戦慄したものだ。すっげえ作品だよなあ。
 んで『箱舟』の方はまあまあ、という程度の作品。タイトルから想像されるように、現代にべらぼうな雨が降って人類が滅亡するお話。あらましを書こうかと思ったが面倒になってやめた。それほど重要な作品ではないと思う。

フロイト(中山元訳)『自我論集』ちくま学芸文庫
 フロイトを読みたくて本棚から引っ張り出してきました。一年生の時に買って挫折した本なのですが、今読み直してもやっぱり難しい。なんでこんなに読みづらいんだ??くそっくそっ腹が立つ。そのうちレジュメ切りながらお前を徹底的に試してやるからな。へへへっ、覚悟しておけよ。

ベートーヴェン(フルトヴェングラー指揮、1950年)『交響曲第三番「英雄」』
 僕自身の個人的な好みからいうと、ベートヴェンは余り好きになれない。正直「どうでもよい作曲家」なのだ。それでもこの交響曲を繰り返し聴いたのは指揮者の魅力からだ。曲自体はどうでもいいんだが、演奏がごっついへヴィなのだ。とくに第二楽章の「葬送行進曲」!なんて重たいんだ!なんか変な言い方かもしれないが、僕はこの楽章を聴きながら、瓦礫の山の上の頂上へ向けて張り渡された一本の綱の上を、一人のピエロが慎重に綱渡りしていく様を思い浮かべましたよ。よくわかりませんか。そうですか。
 ロマン・ロランによる伝記が面白いらしい。それを読めば僕の鈍感さも少しは晴れるであろうか。そういえば手塚治虫の『ルートヴィッヒ・B』は興味深かった。作品の水準としては低い方に入るだろうが、作品そのものよりもコマの端々に手塚の狂気が垣間見えるのが面白い。手塚さん、壊れております。たとえば街を行くルートヴィッヒのバックに何故か阿波踊りをする集団が。あるいは曲想(女性について考えていたのかもしれません。忘れた)を練るため森を散歩すると、木の枝や河の中に何故か豚が。あるいは逃走の場面で丘の上から「キーッ、キーッ」という謎の叫び声が。他に木のウロが不気味な顔の形象になっていたり。しかもこれらのいずれもが物語と一切の連関を欠いているのである。アレはアシスタントの仕業なのかな?

スーパー・ギター・トリオ『フライデイ・ナイト・イン・サン・フランシスコ』
 を久しぶりに聴く。相変わらず異常なテンションとテクニックだ。機銃掃射のごとく、全編を怒涛のフル・ピッキング弾きまくっている。しかもエレキじゃなくてアコースティックギターだぜ。こいつらバケモンだ。
 簡単な説明をしておくと、このトリオはアル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシアという突出した三人のギタリストによって結成されている。それぞれジャズ/フュージョンやフラメンコなどの世界で活躍しているド級の連中だ。実は彼らのことは僕は良く知らないし、正直それ以上の興味もなかったりする。このアルバムは1980年にサンフランシスコで録音されたライブ。
 高校のときはヘヴィメタル一直線だったので何となく曲調に乗れなかったのだが、改めて聴くと曲もなかなかカッコいいではないか。お気に入りは一曲目、「Mediterranean Sundance/Rio Ancho」だ。音の重なり合うアルペジオで始まり徐々に加熱していく。ここでの演奏者はマクラフリン(左)とアル・ディ・メオラ(右)で、交互にソロを取って音楽を進めていく。この二人、バッキングを演奏するときにそれぞれリズムパターンを変えているのが面白い。
 音の一つ一つがバチンバチン弾けている。「一音」ではなしに「一粒」と数えたくなるような、音を通り越して物体になろうとしている、そんな熱いライブアルバムだ。ひさびさにピックを手に取りピッキングのスピードの限界にチャレンジしたくなった。その前に弦を替えなきゃなあ。錆びまくり。

チャン・イーモウ監督、チャン・ツィー主演『初恋のきた道』
 この映画、ゴダールの『パッション』を映画館で観た直後に(レンタルビデオで)観たのですが、ちょっと物足りなく感じてしまいました。食い合わせが悪かったかもしんない。
 物語は中国内陸のある村に派遣されてきたたった一人の若い先生に、チャン・ツィー演じるチャオ・ディが恋をするというただそれだけの話。ホントにそれだけなのだ。そんなシンプルな映画の魅力を支えるのはチャン・ツィーの可愛らしさ。件の先生に面と向かって話し掛けることができず、生徒を送りに行く先生の回り道を遠くからどきどきしながら待ち伏せしたり、校舎建築のときに自分の弁当が食べてもらえるようにいっとう目立つ場所に一生懸命作った弁当を置いたり、完成した校舎(一つ教室があるだけの小さい小さい校舎なんです)から響いてくる先生の声を聴くためにわざわざ遠い方の井戸まで歩いていったり…。あああ、なんて初々しいんだ!一歩間違えればストーカー行為だけども、向かうところ敵なしのチャン・ツィーの可愛らしさの前にはそんな汚らしい言葉は無用。初めて憧れの先生と口を利いた帰り道、嬉しさの余りはにかみながら背中を見せてぽてぽてぽてっと駆けていく彼女の、なんという純朴さ!
 物語の舞台になる土地の自然のおおらかな広がりも、登場する人々のあたたかさも、どれも心地良い。けれどもそれだけといってしまえば確かにそれだけだ。まあそのシンプルさは賞賛されるべきシンプルさなのでありますが。
 映画の始まりと終わりは、ふたりの息子にあたる男の視点から描かれており、そのシーンではカラーではなくモノクロでしかも薄暗く撮影されている。現在よりも過去の方が鮮やかに美しく語られるのは、追憶というものの性質から来るのか、あるいは過去が存在することを決してやめず、むしろ過去こそが実在そのものであるからであろうか…。

参考にどうぞ
『初恋のきた道』公式サイト
http://www.spe.co.jp/movie/roadhome/
 正直、来日フォトアルバムのチャン・ツィーのオトナっぷりに驚いた。女のひとってコワイ…。しかも同年代か。俺だっておめかしさえすれば!


 
 最近、近所にある美術館の資料室で読書をするのがとても良い感じだ。平日に人が少ない。設備がととのっている(高い高い天井、空調、固そうに見えて実は適度に柔らかい椅子、などなど)。そして受付の女性が可愛い。さてその美術館のミュージアムショップには美術関連の面白そうな本や楽しいおもちゃなどが並んでいるのですが、以下、それを見てたら欲しくなってしまった本。メモ以外の何でもありません。

 若林奮・前田英樹『対話・彫刻空間 物質と思考』りぶるどるしおる
 谷川渥『見ることの逸楽』白水社
 赤瀬川源平『雪舟応援団』中央公論社
 杉田敦『リヒター・グールド・ベルンハルト』みすず書房

 幸いこれらの本の大部分は美術館の資料室に入っているようなので、こちらで読ませてもらうことにしよう。貸し出しが効かないらしいのが残念この上ない。ところでこの杉田敦という人、どうなんでしょうね。以前本屋で値下げされて大量に並べられていた『メカノ』という本を買ったにもかかわらず、文体がなんかクサかったのできちんと読んでないのですが。なんとなく浅田彰のコピーっぽい、しかも東浩紀ほど話題に上がらない…というのは僕の無知と偏見でしょうか。世間の評判はどうなんですかね?とりあえず『リヒター・〜』はとても良い感じでしたよ。ちなみに、現在徳島にそのゲルハルト・リヒター展(このサイト面白いです。トップはこちらから。勝手に貼ってしまったけど大丈夫かな)が来ているそうじゃありませんか。ていうか、もう一歩足を伸ばして神戸まで来てよぅ。


 甘いものが急に食べたくなり、近所のコンビニでプチシューを購入する。あんまりマズイのでびっくりした。ひゃーおどろいた。なんて酷い味だ。後ろのラベルを見ると、わざわざ長野から運んできているらしい。味と保存期間の長さからから察しがついたが保存料・添加物がどっさり盛りだくさんですよ。HAHAHA。てめえら、神戸の洋菓子のうまさを知らねぇのか。灘はその中でもさらにトップクラスなんだぜ(伝聞)。顔洗って出直してきやがれっ。


1月29日:宝塚スケートリンクなど

 ェーッ寒いっ!寒すぎるッ!冬眠してしまいたいくらい寒いです。なんなんだよ「最高気温0℃」って。しかし心頭冷却すれば冬もまたうららかなりってことで、スケートに行くことになりました。イヤッホウ!自殺行為だっ。神戸にはスケート場というのがありませんのでわざわざ電車にのって宝塚ファミリーランドへ出かける。到着するとどういうわけか妙に閑散としている。休園日でした。あほやっ。あほやっ。あほやっ。

宝塚という土地には文字通りあの宝塚劇場というのがあるんですが、熱狂的な宝塚ファンというのがおりまして、俳優出入り口のところで俳優達が出入りするのを見守っておるんですよ。詳しいことは知りませんが、親衛隊(ヅカファンのこと)のなかでも年功序列など厳しく定まっており、俳優さんを見送る時はきちんと前段・中断・後段というふうに並び、それぞれ片膝・中腰・直立という姿勢で「行ってらっしゃいませー!」とか「お気をつけてー!」などと叫んで送り出すそうです。すごい世界ですね。昨日もめちゃくちゃに寒い中、それと思しき女性達をちらほら見かけました。みな一様に黒っぽいいでたちで、だいたい30代半ば〜という感じでした。みんな、なんでそこまで頑張れるんだ?なかの一人は「凍死しそうや…」とか呟いていました。あんた、帰りなはれ。

 ともあれ、今度は天気の良い日に(休園日でない日に)ゆっくりとこの周辺を散策したいなと思いましたとさ。そうそう、手塚治虫博物館もありましたよ。

 帰りに西宮の無印良品でちょっとした買い物など。最近の無印は食品が充実しており、ついつい「香り米」や「木樽天然醸造三年仕込醤油」なんてのを買ってしまいました。他には世界各地の岩塩や、程よいおこげができる炊飯釜なんてのが気になりました。これはさすがに買いませんでしたけど。一時期炊飯器が使用不可能になって土鍋で米を炊いていたことがあったんですが、ガスで炊くと仕上がりがふんわりと甘いのですよ。そこにこうばしいおこげの香りが…。ああ腹が減った。

 さらに家の近所のスーパーでスルメイカの刺身用が激安で売っていたのでこれも即買い。これで塩辛を作ろう。炊き立ての白米にのせると旨いぞう。以下に簡単な作り方を示す。

1.刺身用スルメイカの足を引っ張って内臓を丸ごと引きずり出す。このとき内臓をつぶさないように気を付けよう。
2.イカの肝(黄色がかっている部分)だけを切り取り、軽く塩を振る。アジシオなんて使うなよ!
3.イカの胴と足を漬けられる分だけ、適度な長さに切り分け、こちらも水分をとっておく。
4.肝の先端に穴を軽く穿ち、タッパーに搾り出す。そして3の身を漬ける。適度に塩や醤油を足し、あとは半日ほど置けば食べごろ。
*イカの肝は結構量が少ないので二・三匹分の肝を使うとちょうど良いくらいかも。あと、パスタのソースに使うとコクがでるに違いありませんぜ。

 レビューが大幅に遅れております(さぼっているだけ)。一応見たもののメモだけでも。なるべく早めにアップします(多分)。
 
 ドイツ表現主義展、サントリー天保山ミュージアムにて
 映画『ノスフェラトゥ』(同上にて)
 クールベ展、大阪市立美術館にて
 井筒俊彦『意識と本質』、岩波文庫
 高橋源一郎『虹の彼方に』、新潮文庫
 ベートーヴェン『弦楽四重奏』、アルバン・ベルク・クァルテット(CD)
 ドビュッシー『神聖な舞曲と世俗的な舞曲、他』(CD)
 
 えーと、こんなもんかな?

 



1月25日:J・L・ゴダール『パッション』、他

 んまへん、また間が空いてしまいました。といっても単にサボっていたわけではなく、熱を出して寝込んだり、それにもかかわらず連発で夜勤に励んだりと、珍しく忙しい日々を送っていたのです。
 んで今日は思いつきで映画を観に行こうということになり、ちょうど今日から始まったゴダール『パッション』を見てまいりました。面白かった!!これはド級に素晴らしいです!未消化なままなのでどうしても舌足らずになってしまいますが、圧倒的に美しい映画です。

 ストーリーはあってないようなものですが、簡単にいうとこんな感じ。ある映画監督が、レンブラントやゴヤなどの古典的絵画を映画として再現する作品「パッション」を制作している。しかし映画監督は「光がダメだ」「物語がわからない」と言い続け、映画は一向に完成へ近づかない。そのさなか、監督は工場の社長婦人と工場で解雇され反抗する女性との間で揺れ、結局何もかも放り出したまま車で走り去る…(というふうだったと思います)。

 冒頭からして素晴らしい。遥か遥か遠い空まで伸びていく飛行機雲、その空がドキリとするほど広い。そのバックで流れているのはラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』。ある哲学者を弟に持つ、戦争で右手を失ったピアニストのために書かれたこの音楽は、オーケストラの低音で始まり、徐々に狂的な装いを織り交ぜつつやがて頂点で炸裂する。その間飛行機は止まることなく永遠に昇りつづける…。
 本作は選曲も最高だ。モーツァルト、フォーレの『レクイエム』などを始めとする名曲の数々。しかもフォーレのレクイエムも『ピエ・イエズス』と『アニュス・デイ』だけを選ぶという、「ニヤリ」な流し方。それにしても劇中映画で『ピエ・イエズス』をバックに、見えない階段を裸の女性が昇っていくシーンの美しさ。清らかでありしかもエロティックでもあるソプラノの声と、健全に熟成した女性の身体が天へと近づいていくあのシーンの美しさははどうだろう!あはん幸せぇ。

 その劇中映画は結局破綻してしまう(と思う)んだけれども、破綻になる理由がわからないくらい(笑)良い。たとえばレンブラントの『夜警』。劇中監督は繰り返し「光(リュミエール)がダメだ」と言いつづけるが、どうみたってこの演出は素晴らしい。暗闇にぼうと浮かぶ黄色い光、兜や鎧に反射する、滑らかでもあり鋭くもある光、描かれる人物達の緊張した表情、全体に漂う荘厳な気配。僕たち観客は映画を通じてレンブラントを改めて知覚することができるのだ。しかも、かのゴダールという個性的な芸術家の視点から。こんな贅沢が他にありますか。

 この映画のポスターになっているシーン(このサイトの一番上の写真)があるのですが、そこへとつながる一連の流れが信じられないほど素晴らしいのです!映画のことなど何もわからない僕ですが、思わず立ち上がって「完璧だっっ!!!」と叫びたくなるような、それはそれは見事なショットでした。肌の質感、うねるような腰と背中のライン、この上なく豪奢な色彩(黒、黄色、そして赤!)、音楽、細部に至るまで厳密に計算されております、万歳!ここを観るためだけに映画館に足を運んでも損ではありません。暇な諸君、ぜひ観ておきたまい。
 他に登場する名画は、ゴヤの『5月3日の銃殺』やエル・グレコ『聖母被昇天』など、いずれももいつまでも眺めていたくなるような出来栄え。それらが音楽と相まって他に類を見ない芸術的な時間を生み出している。

 どうも背景に階級闘争や労働者の解放、知識人の選択といったテーマがあるようなのですが、政治的な話題にまったく関心をもてない僕にとっては「どうでもいー」やって感じでした(ダメですか)。ところで『パッション』を多くの人が「情熱」と取っているのですが、それほど情熱的な映画とも思えず、かといって「受難」ならばバッハの曲が使われていないと不自然なので、結局タイトルの意味はなんなんでしょう。どなたか教えてください。ともあれ、僕が今までみたゴダール作品の中ではもっとも純粋に「美」を味わえる作品です。未見のひとは是非観ておきましょう。神戸ではシネリーブル神戸で1月31日(ちなみに2月1日〜2月7日は『ゴダールのマリア』ですぞ)まで上映しております。

参考にどうぞ
ゴダール『マリア』『パッション』公式サイト
http://www.zaziefilms.com/godard/
ちょいと重いがカッコいいです。

シネマ・ギロテスク
http://www005.upp.so-net.ne.jp/guillo/cnmgltsq/passion.htm
「言葉」ですか…。思いつきもしませんでした。よくそこまで読み込めるなあ、とひたすらに感心です。「…しかも物語=歴史=言葉は生きられなくては成立しない」というのはドゥルーズ/ベルクソンあたりから来ているんでしょうか。ふーむ、面白いです。

『パッション(PASSION)』
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:イザベル・ユペール、ハンナ・シグラ、ミシェル・ピコリ、イエジー・ラジヴィウォヴィチ
1982年

 



それから、チェックしていなかったのですが、いま関西の展覧会は妙に熱いですぞ。個人的に面白そうなのを挙げておきます。たぶん僕は全部観に行くと思われ。遊びすぎという噂も。

『クールベ展』、大阪市立美術館
2003年1月10日(金)〜2月16日(日)まで
http://mbs.jp/event/courbet/

『ドイツ表現主義の芸術 20世紀絵画の旗手たち<色とかたちの革命>』、サントリーミュージアム[天保山]
2002年12月7日(土)〜2003年1月26日(日)
http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/12publicty/150126-suntory-doitsu/00suntory-doitu.html

『ウィーン美術史美術館名品展 〜ルネサンスからバロックへ〜』、京都国立近代美術館[岡崎公園内]
2003年1月11日(土)〜3月23日(日)
http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/12publicty/150323-kyokin-wien/00kyokin-wien.html

『英国ロマン主義絵画展 ブレイク、ターナー、コンスタブル、バーン=ジョーンズ…』、兵庫県立美術館
2003年1月28日(火)〜4月6日(日)
http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/12publicty/150406-hyogo-roman/00hyogo-roman.html

ロバート・メイプルソープ展』、大丸ミュージアム・心斎橋
2003年1月30日(木)→2月11日(火・祝)
http://www.daimaru.co.jp/museum/existing/sinsai/index.html

特にクールベと英国ロマン主義展が面白そうです。楽しみだぁ。


1月18日:四冊と三本と一枚と一食

 
。や。や。また更新に間が空いてしまいました。いかんことですよ。これはだめです。だめなのだっ。はぁはぁ。や。や。これは失敬しました。さいきん情緒不安定なのですよ。当然アルコール量が増える。胃が荒れる。精神も荒れる。これはだめだ。だめなのだっ。はぁはぁ。
というわけで最近はこんなものを読んだり観たり聴いたり食べたりしています。ごく簡単にレビューをば。


伊谷純一郎『ゴリラとピグミーの森』岩波新書、1961年

 先日紹介した島田荘司と同じ時に買ったものです。良書というのは手にとった瞬間によい香りがするものですが、この本はまさしくそれでありました。最初から最後まで一気に楽しく読ませていただきました。ごちそうさまを言いたい気分です。1960年に伊谷氏(当時35歳!)がゴリラの予備調査に単身アフリカへ出かけたときの旅行記。文章を読めば明らかなのだが、伊谷氏はたいへんな人格者であったようだ。ときに人種差別に怒り、ときに声高らかに哄笑し、あるいは情に深く、あるいはピグミーたちの怠惰さに腹を立てたり、場合によっては上に立つものとして威厳を保ち命令したり、と文章の端々から彼の人間としての完成度が伝わってくる。こういう人を現代に探すのは難しいんじゃなかろうか。日本の霊長類研究の土台を築いた人物の一人だそうです。
 文もさることながら写真の腕もなかなかで、ことにp168の少女の写真は黒人女性の魅力を綺麗に引き出しており、皆様にお見せできないのが残念。本自体はどうも廃版みたいです。百年残る名作か、と問われるなら答えは否。おそらく現在出回っている以上には増刷されないでしょう。場合によっては古本屋でも処分されつつあるのかも。この本を読めるのは現代に住む我々だけであり、それ以降この文章は永遠に失われるでしょう。古本屋で見つけたらぜひ手にとってみてくださいな。

残念ながら最近亡くなられたとか。
毎日新聞


筒井康隆『旅のラゴス』徳間書店、1986年

 久しぶりに筒井を読んでみました。僕が文学に興味をもったきっかけというのが彼の『虚構船団』だったのです。某予備校の落し物コーナーに置きっ放しにされていたこの本を手にとって、その荒唐無稽さとエネルギーに圧倒されたものです。「暇だなあ。誰か死なないかなあ。」これは名言ですよ。
 で『旅のラゴス』は彼にしては正統派(?)なSF長編。どこぞのサイトでべた褒めにされており、読みたいと思っていたところにちょうどあらわれたので一も二もなく手に入れたのだけど、まあまあという感じです。主人公ラゴスが地球とは別なある星を、叡智を求めて旅する話。旅の冒頭で出会う美しい少女デーデの面影がラゴスの人生の折々に触れて浮かび上がるのだけど、結局デーデの話は未消化なまま終わってしまう。もっともっと分量を多くして壮大な旅物語にしても良かったんじゃないでしょうか。印象的なのは次のエピソード。

 「月明かりに、黒ずんだ緑色の鱗を光らせた巨大な蛇がたまご道を這っていた。三角形の頭部をふらふらと宙に泳がせては卵にすり寄り、そのひとつを呑もうと試み、いずれも果たせぬまま大蛇はその卵の先端を支点にしてまた次の卵へと波状形を描いて這い寄って行くのであった。しゃらしゃらと尻尾の先端の角質の発音器官を金属的に高鳴らせて身をくねらせて無駄な努力を続けるその様子はなんとなくひとの世の哀れさをさえ感じさせるものがあり、ただの爬虫類の嘆きや苦痛以上のものがその身もだえするような蛇行から見てとることができた。しばらく眺め続けてのちにベッドに戻ったが、あとはもう断続的に眠ることしかできなかった。/金属音はひと晩中続いていた。」(pp66-67)

 筒井康隆といえばドタバタ・ナンセンスがすぐに頭に浮かんでしまうが、彼はすばらしく叙情的な一面も兼ね備えている。その系列の作品では「佇むひと」という名作があるが、この『旅のラゴス』もそこに加えられるべき作品であろう。旅をすることの悲しみ、生を通過することの悲しみ、出会いと別れ、こう書いてしまうと凡庸に聞こえるが、そのようなものが確かにこの作品には描かれている。 
 第一章のタイトルが「集団転移」となっており、作品内では「転移」とはテレポートのことなんですが、これは精神分析の用語ですよね。んだから、ひょっとしてこの星は一つの人格であって、主人公やその他の人物は人格を構成する性格の一つ一つであって…という話を想像したのだけど、そうじゃないみたいでした。いや、ひょっとしたら関係あるかもしれない。どなたかわかった方居られましたら教えてください。
 三宮の古本屋MANYOで手に入れました。久々にMANYOに行ったらエライ整理されとりましたぞ。以前の混沌具合も魅力でしたが文庫が格段に探しやすくなっております。よかったら行ってみなはれ。


筒井康隆『農協月へ行く』角川文庫、1979年

 同じくMANYOで手に入れました。こちらは短編集。いかにも筒井らしい、笑いあり・エロあり・ブラックありという楽しい作品集です。彼の作品群の中では中の上くらいの出来。なかなか楽しめました。ふむ。このなかでのベストは「経理課長の放送」ですね。ストライキやらなんやらで放送が止まってしまったラジオ局の放送を、経理課長が一切合切任される話。こう書くと普通の小説に聞こえてしまうが、筒井はラジオから聞こえてくる音だけでこの小編を成立させる。さすがであるなあ。「って言ったって素人なんだから無理でね。」で始まる小説が今まであっただろうか?語りだけで最後まで読ませます。興味のある方は読んでみたまい。


河野与一『学問の曲がり角』岩波文庫、2000年

 河野与一(1896-1984)は語学の天才として知られた人物だ。なんでも英・仏・独・希・羅・露・漢…などを含む十数ヶ国語に通じていたらしい。おっそるべし。哲学的な関心というよりかはむしろエッセイとして手に取ったのだけど、この中に収められている「ギリシャ哲学の盲点」という講演が、哲学的に面白そうでありかつ実は何を問題にしているのか良く見えないという微妙な話。もう一回きちんと読み直さないといけませんね。他の諸エッセイは肩の力を抜いて読めました。残らないといってしまえばそれまでではありますけど。

 

ゴダール『恋人の時間』、シネリーブル神戸にて
 うむ、面白かったですよ。ゴダールの作品は基本的に何を言っているのかわからず、それゆえスノッブどもは「頭でなく心で感じるんだ」とかバカなことを抜かしやがるが、この作品も相変わらず何を言っているのかわからず、それにもかかわらず大変楽しめたのはひとえに映像のセンスが抜群に良いから。女性の背中ってのは美しいですねえ。いいですねえ。


ヒッチコック『ロープ』、ビデオ

 ああ面白かった!ヒッチコックは最上のエンターテイナーですね。ストーリーやカメラワーク、演出に至るまで極上の作品です。精神分析系の評論家が大喜びで分析したくなるような、奇妙な歪みも兼ね備えている。一つの部屋の中だけでドラマが進行し、しかも基本的にはカットなしというトンでもない作品。でその部屋の大きなガラス窓から遠くに煙突が見えるのだけど、そこから延々と煙が立っているんですよ。なんなんでしょうねアレ?すごい気になる。小さい煙突なのに、異常に目立つのであるよ。非常に象徴的。なのに物語には一切関連がない。またラストの方で窓の外に向けて銃を放つシーンがあるのですが、これまた象徴的な瞬間。外部/内部の関係がここで入れ替わるような。とにもかくにも分析欲をそそられる作品であります。ちょっとヒッチコックに関する文献を漁ってみようかしらん。


タルコフスキー『ノスタルジア』、ビデオ
 これは正直にいうとしんどかったです。映像美、とくに水の表現は半端じゃないくらい美しいのですが、疲れていたこともあってウトウトしてしまいました。分厚く垂直に積み重なる時間の堆積。あらゆるところからしたたり落ち、時に張力によって鏡のように煌く水面を作り、あるいはたちどころに地面へと浸透していく元素、水。とりあえず美しいです。音楽にヴェルディのレクイエムが使われていたのも印象的でしたね。解説書を携えてもう一回チャレンジしてみたいです。どうでもよいけど『ジョジョの奇妙な冒険』の「ブラック・サバス」の元ネタはこれですね。


ザ・ヘラコプターズ『BY THE GRACE OF GOD』、UNIVERSAL
 イェア!ヘラコプターズの新譜だ!スウェーデン出身のこのロケンロールバンドが大好きです。初期の彼らはモーターヘッド並みの「爆走」がウリで、僕もそのアバレッぷりにガツンとやられたのだけど、アルバムを出すたびに大人しくなっていきやがる。こまったもんだ。新作もそれまでの流れどおり大人しい(といってもロックなので勿論ヤカマしい)仕上がりになっている。ところが、だ。曲の質がとんでもなく向上しているのである。作曲のセンスだけを取ったら彼らの作品群では文句なしにナンバーワン。それどころか最近手に入れたロックアルバムの中でも1・2を争うようなイカした内容だ!ジャキジャキ掻き鳴らすリフレイン、セクシーとワイルドが同居するニッケ兄貴のヴォーカル、さらに巧くなったギターソロ、哀愁を帯びてしかも激しい曲の数々、これなら文句なし!余は大満足である!ライブが楽しみだ。

ヘラコプターズ・オフィシャルサイト
http://www.hellacopters.com/


鳥徹
 水道筋の焼き鳥屋さんです。先輩カップルに連れて行ってもらいました。九州地鶏を銘打っているんだけど、スゲー旨いでやんの。びっくりした。鶏肉ってあんなに旨みあるモンだったんですね。肉の繊維一本一本に味が絡みこんでいて、噛む度に芳ばしい香りが胸の内に到来する。「幸せの繰り返しだーーッッッッ!!!」とは名言ですが、ホントに旨かったです。とうぶんの間ブロイラーなんて食べれまっしぇん。きししっ。
 それにしてもあんな場所にあんな旨い店があるとは、神戸は侮れない土地です。近所に住んでいる人はゼヒゼヒ行っておきましょう。値段も盛り合わせが二人で3200円から、とお値打ちです。

 


1月2日:2002年概括

 年おめでとさんです。今年もまったりよろしくお願いします。

 何の脈絡もありませんが去年の総括を兼ねて、取りあげようと思っていてなかなか書けなかったレビュー対象を以下に挙げておきます。ここ1ヶ月〜半年ほどの間に感銘を受けた作品などが中心です。もちろんここに挙げた以上の数を経験してはいるのですが、とりあえず今すぐ思い出せるのはこれくらいです。忘れたってことは、これといった感想を持たなかったのかもしれません。また、幾つかは衝撃的であったので改めて取りあげたいと思っていたりもします。

書物(出版年・出版社等は省略、以下同様)
M.C.エッシャー『無限をもとめて』
開高健『開口閉口』
前田英樹『映画=イマージュの秘蹟』
東浩紀『動物化するポストモダン』
五十嵐太郎『新興宗教と巨大建築』
下條信輔『<意識>とはなんだろうか』
古井由吉『杏子』
井上靖『しろばんば』
ミルトン『失楽園』
大江健三郎の諸作品
安部公房の諸作品
川田順造、数点
レヴィ=ストロース、数点
町田康、数点
ほか多数。。。

音楽
ヴァーグナー諸作品
ピアソラ諸作品
バッハ諸作品
小沢征爾指揮、武満徹『武満オーケストラ作品集』
シュテファン・フッソング演奏、ジョン・ケージ『夢』
スクリャービン、『ピアノソナタ集』
ストラヴィンスキー、『春の祭典・火の鳥』
ザ・ヘラコプターズ、『By the grace of God』
ミゲル・バルベーロ、『A MAGIC INSTRUMENT』
コンサート数点
ほか無数。。。

漫画
黒田硫黄『大日本天狗党』、『セクシーボイス・アンド・ロボ』、『黒船』、『大王』
いましろたかし『ハーツ・アンド・マインズ』、『ハード・ボイルド』
高野文子、数点
ほか多数。。。

映画
シュバンクマイル『オテサーネク』、『ファウスト』
ピエール・ジュネ『デリカテッセン』
監督名忘れた『素敵な歌と舟はゆく』
ゴダール『ウィークエンド』、『フォーエバー・モーツァルト』
監督名忘れた『プラットホーム』
ほか多数、多数。。。

絵画・美術
向井潤吉『向井潤吉展』(小磯良平美術館にて(六甲アイランド))
M.C.エッシャー『エッシャー展』大阪南港キリンプラザ
ゴッホ『ゴッホ展』(兵庫県立美術館にて)
カンディンスキー『カンディンスキー展』(たしか京都駅ビルだったと思う…)
雪舟『雪舟展』(京都国立美術館にて)
森村泰昌『(タイトル忘れた)』(大阪キリンプラザにて)
作者忘れた『植物の意識、宇宙の生命』(西宮のどっかの美術館にて)
数名による『現代を切り開く作家展』(兵庫県立美術館にて)
ほか数点。。。

やあ、リストアップしてみると結構あるもんですね。
しばしば「自分は何もしていないんじゃないか」と不安な気分に陥るのですが、それなりに積極的に何かを追求しているみたいです。出不精な僕を外へ外へと引っ張り出してくれたH・K、心から感謝しています(とはいうものの、本人にはこのサイトの存在を知らせていないのですが)。君がいなければ僕のこの一年はほんとうに惨めなものになっていたと思います。改めてありがとう。
というわけで、今年(できれば去年よりも早足で)もサクサク歩んでいきたいと思います。
よろしくよろしく。